全国の霊場

全国の八十八ヶ所霊場の歴史は、関東や北海道にも昭和や平成に入って出来た八十八ヶ所霊場もありますし、四国の砂を持ってきて、お地蔵さんや道祖神、あるいはご本尊様を並べて参拝する、いわゆる「お砂踏み」と呼ばれている巡礼地もあります。伊豆の修善寺にも桂谷八十八ヶ所霊場という3日程度で参拝できる巡礼地があります。

三鈷杵を持つ空海

八十八ヶ所霊場は、一般的には「弘法大師霊場」と呼ばれていて、本場四国の八十八ヶ所霊場を模した形で、全国に点在しています。

諸説ありますが、本場四国は「弘法大師」が作ったのではなく、没後に信者が弘法大師(空海)の所縁の地を参拝する事で、江戸時代に現代の様な姿に確立されたと聞いています。

似たような巡礼地としては、三十三変化して人々を救う観音様を慕う事で巡礼する三十三観音霊場であったり、不動明王を参拝する三十六不動尊など、全国には百を超える霊場があると言われています。

「霊場」と呼ばれている巡礼地は、一般的には札所と呼ばれている寺院が、巡礼者をお出迎えして、ご住職に納経をしたことを見守って頂き、納経した証に納経印を押して頂きます。

全国的にも全ての札所が寺院である霊場は数少ないです。

世界に目を向けると、ヨーロッパでも聖地巡礼として、教会を巡礼する文化もあります。

伊豆八十八ヶ所霊場

果たして伊豆は「弘法大師」の所縁の地であろうか。

空海(弘法大師)が遣唐使として中国に渡航する祭、国司では無かったので旅費を自費で賄う必要があったそうです。そして空海の直筆とされる手記には「桂谷で金脈を掘って賄った」とされていて、その「桂谷」が修禅寺ではないかとされています。

確かに修禅寺の開祖は「空海」とされており、鎌倉時代に臨済宗を経て現在は曹洞宗です。曹洞宗であっても、山門に「弘法大師」の石碑もありますし、護摩堂で護摩供養も行われています。

空海の御影

伊豆市に土肥金山もありますし、伊豆八十八ヶ所霊場の多くの札所が、現在は曹洞宗が多くを占めますが、元はほとんどが真言宗の寺院であった事も不思議な縁です。

伊豆八十八ヶ所霊場の調査をしていた時に、伊豆八十八ヶ所霊場の寺院では、昔から何で他宗の開祖が祀ってあるのか判らないという話を聞きました。

八十八ヶ所霊場という事なので、やはり弘法大師(空海)を慕って出来た霊場である事は、間違いありません。

そして、第4代会長を仰せつかる前に、とある高僧が念写をされた空海の御影の複写を頂く御縁もありました。右の画像はモザイクをかけていますが、目鼻立が若いので二十歳前後の空海だとされています。

伊豆八十八ヶ所霊場の復興の一助になればと思い、第0番札所の三明寺に展示していますので、ご興味のある方はお立ち寄りください。

江戸時代からの霊場

伊豆の八十八ヶ所霊場の発見は、昭和50年代に第28番札所の大江院から明治時代の納経帳が見つかった事から、伊豆観光霊跡振興会(現在の伊豆霊場振興会)が発足し調査が始まりました。

第6番札所の金剛寺からは、やはり明治時代の全札所が彫られている木版や、札所からご本尊が彫られている木版が見つかり、明治20年代には、多くの参拝者が訪れていた事が伺えます。

そして、伊豆霊場振興会の第4代会長として調査をして発見したのが、第21番札所の龍澤寺の参道に「伊豆八十八ヶ所霊場参拝」と書かれた、天保十三年(1842年)の石碑がありました。更に第49番札所の太梅寺から第50番札所の玄通寺に向かう参道が埋もれて見つかっていませんでしたが、調査により発見する事が出来ました。

太梅寺を出て、すぐの道を川沿いに山に向かって峠を越えるものだと思っていましたが、太梅寺の前を真っ直ぐ川を渡り、そのまま山に向かう獣道を行くと、山頂付近で突然開け、木洩れ日の中、道祖神と一緒に四国八十八ヶ所供養塔なるものが佇んでいました。

四国八十八ヶ所供養塔がある事から、この道が、伊豆八十八ヶ所霊場の遍路道であった事が伺えます。

第50番札所の玄通寺は、地元の口伝としては昔は山の中にあったと聞いていましたが、山頂を過ぎて下って行くと、石積や灯篭跡などが残る場所に出ます。きっと、昔の玄通寺跡ではないかと思います。

動力(電車や車)や電話が無い時代に、江戸時代に誰がどうやって伊豆に八十八ヶ所霊場を作って、しかも、多くの人たちが参拝していたと思われますが、どうやって告知をしたのだろうか。

それにしても不思議です。

明治四十五年の納経帳

第28番札所から発見された納経帳をきっかけに調査が開始された貴重な資料で、大江院で確認できます。

奉順拝と書かれた石碑

江戸時代に、四国や西国を参拝した記念碑と思われますが、一番左に伊豆八十八ヶ所霊場とあります。

山頂の石碑

江戸時代に建てられた石碑群ですが、右に四国八十八ヶ所供養塔があります。

八十八ヶ所霊場の魅力

四国と伊豆を歩いて結願し、知多四国も数コースを参拝してきたので、それぞれの魅力をまとめてみました。

江戸時代からある霊場の共通の魅力は、札所と呼ばれている寺院のつなぐ道が、江戸時代では主要道路として利用されてきた道です。

特に伊豆八十八ヶ所霊場は、遍路道が保存されている訳でもなく、鉄道や国道が整備されて主要道路は別の所を通っています。だいぶ朽ちてしまってた道もありますが、伊豆の札所をつなぐ道を歩いて辿ると、江戸時代の風情を感じる事が出来ます。

四国遍路

規模:四国の全長1400km
札所:札所八十八+別格二十
参拝者:年間8万人
場所:関西を中心に中国や九州
特徴:歩いて参拝している人も多く、遍路道を保存しているので、のどかで気持ちが良い景色が広がっています。
お接待の文化があるので、地域として受け入れ態勢が出来ている。

知多四国

規模:知多半島に194km
札所:札所八十八+別格十
参拝者:年間5万人
場所:中部地方
特徴:非常にコンパクトなため、結願するのに時間がかからない。名古屋鉄道が半島全体をカバーしているので、交通の便が良い。平坦な場所が多いので、ウォーキングに向いている。

伊豆八十八ヶ所霊場

規模:伊豆半島に444km
札所:札所八十八+別格三
参拝者:年間数十名
場所:関東地方
特徴:日本屈指の温泉街がある事で、宿泊や食事を楽しむ事が出来、各地に足湯などもあるので、お遍路との相性は抜群。適度な高低差もありますし、大自然の絶景を楽しむ事が出来る。

結願証

歩き遍路はもちろんの事、自家用車であっても、八十八ヶ所霊場を結願(全ての札所を参拝)する事は大変な事です。

結願寺である、八十八番札所修禅寺では、お祝いの言葉を添えた「結願証」の発行(1,800円)をしています。

結願 お祝いの言葉

この度は、皆様の御信心が実を結び、
伊豆八十八ヶ所弘法大師霊場巡拝を、
円成されましてまことにおめでたく、
心からお祝い申し上げます。
当福地山修禅萬安禅寺は、
弘法大師の開かれた寺であり、
伊豆八十八ヶ所の結願寺でございますので
巡拝円成を記念して、この証をお渡しいたします。

一隅、一隅を照らすことが
やがては遍く照らす事となります。
それには金剛不壊の心身を必要とします。
大師のお徳にあやかって、他を利する日送りの中に
生きがいを見出していただけるならば、
結願の意味が一層深いものになると思います。
尊い心身を大切になさってください。

伊豆八十八箇所霊場 結願寺
福地山修禅寺 山主 敬白