札所の再編の歴史
江戸時代からある伊豆八十八ヶ所霊場ですが、札所と呼ばれている寺院は、時代によって再編がされてきました。
下の画像は明治22年に彫刻されたとされる、札所を記した木版ですが、昭和の時代に六番札所の金剛寺から発見されました。それを実際に刷った用紙となりますが、現在の札所とは大きく異なります。
潰れて読めない寺院もありますが、上から「札番・地域名・寺院名・距離」となっているように見受けられます。
明治後期の納経帳
昭和50年代に第28番札所の大江院から伊豆八十八ヶ所霊場の納経帳が発見されたことで、伊豆霊場振興会の前身である「伊豆観光霊跡振興会」が発足しました。途中「伊豆霊場振興会」に改名して今に至ります。
そもそも納経帳は、故人の棺に入れて一緒に火葬することで極楽浄土にいけるという信仰から、ほとんど見つかりません。
面白い事に、今のお遍路と一緒で、途中で神社や近隣の寺院に立ち寄った形跡もあり「旅」そのものを楽しんでいたのではないかと感じます。
そして、この頃には、既に木版にあった寺院が入れ替わっていることから、色々と事情によって札所の再編がなされてきたのではないかと考えられています。
札所そのものに意味はあるのか
四国遍路の成り立ちは、空海没後に、空海を慕う後世の者が、所縁の地を参拝したことから始まり、その参拝者を支えたのが、地域の人達と寺院であり、地域の人達は「お接待」と呼ばれて、札所はお遍路さんを見守る立場とされています。
例えば善通寺などの、札所そのものが空海に深い所縁のある寺院もあれば、そうでない寺院もあります。
それでは伊豆八十八ヶ所霊場はどうでしょうか。空海に所縁がある寺院もありますが、いわゆる古刹と呼ばれている寺院もあります。
当会としての見解は、お遍路とは、昔は写経を納めて参拝した事で「信仰」から参拝した事も確かだと思います。
実際に四国を歩いて参拝した事で感じたことは、ご住職様や地域の人達の温もりを感じることで、人間の尊さや美しさを感じることが出来、旅先での旅館の関係者との談話や、大自然に囲まれた境内で佇むことで癒されます。境内にある地域で活躍した先祖の功徳は、日本人として誇りに思います。
それらの体験が、お遍路の醍醐味であり、江戸時代から人々を魅了してきた「旅」だと思います。
札所とは、お遍路さんに欠かすことが出来ない大切な場所ではないでしょうか。
このWEBサイトで掲載されているご寺院様は、当会からのお遍路さんの参拝を、ご了承を得られている寺院なので安心して参拝してください。
札所の再編について
この度「昭和の参拝順路」から、当会における「令和の参拝順路」として札所の再編をしました。
《1番札所》長徳寺
《35番札所》慈眼院
《85番札所》航浦院
当会としては、単にご本尊様に参拝が出来れば「昭和の参拝順路」で良かったのですが、それぞれの細かな理由は違いますが、共通しているのは「現」ご住職様のご都合により、当会のお遍路さんを受け入れが出来ないという事での再編です。
50年後100年後の未来には、再編された札所が歴史ある札所となります。
安心して参拝できることで「復興と繁栄」を願っています。