遠藤 貴光
株式会社サイトプラス
代表取締役
経歴
【誕生年】1970年
【出身地】静岡県三島市
【趣味】車・旅行
【特技】データ分析
【資格】
〇MicrosoftOfficialTrainer(Access)
【学歴】
〇三島市立北小学校卒業
〇三島市立北中学校卒業
〇県立沼津工業高等学校卒業
【略歴】
19歳:結婚して長男を授かる
19歳:住宅営業職
29歳:金型屋で生産管理職
33歳:株式会社ピーシードクター起業
44歳:四国歩き遍路結願
44歳:伊豆霊場振興会の会長就任
45歳:Mensa会員になる
46歳:伊豆霊場通し歩き遍路結願
46歳:HELLIQ会員になる
46歳:株式会社サイトプラス起業
- 1. 人生の苦悩
- 2. 社会不適合者
- 3. 追い込まれるように起業
- 4. 伊豆八十八ヶ所霊場との出会い
- 5. 最初の遍路
- 6. 不思議な体験
- 7. 伊豆霊場の本を出版
- 8. 銀行との戦いが勃発
- 9. 正義とは
- 10. お遍路ビジネスの失敗
- 11. 人生の転機
- 12. 導かれるように四国遍路へ
- 13. 意気揚々と四国遍路の旅
- 14. 遍路落ちして帰宅
- 15. 再起を誓う
- 16. 同行二人
- 17. 直ぐ四国遍路に向かう
- 18. 景色は心で見ている
- 19. お遍路さんはヒーロー
- 20. お遍路さんの男女比
- 21. 男女の性
- 22. 人間の欲を受け入れる
- 23. 無理をするから偉くなる
- 24. 一生懸命やる事
- 25. 精神が肉体を支配している
- 26. 四国遍路も終盤に
- 27. 納経印を貰わない選択
- 28. 四国遍路の最終日
- 29. 私の四国遍路
- 30. 四国遍路が衰退しない理由
- 31. 伊豆霊場振興会の会長就任
- 32. 社会不適合の原因が判明
- 33. 高IQの特徴
- 34. 知多四国の視察
- 35. 「いにしえ」の遍路道を発見
- 36. 伊豆遍路の発心
- 37. 遍路転がし
- 38. お接待の文化
- 39. 良く出来た伊豆霊場
- 40. 伊豆遍路の結願
- 41. ご利益などは無い
- 42. 札所0番の設営
- 43. 会社の設立
- 44. 次男の駿が一緒に働く事に
- 45. 公式納経帳から制作
- 46. 伊豆88旅宿の発足
- 47. 伊豆半島全体の課題
- 48. 多くのメディアに取り上げられる
- 49. 自分探しの旅
- 50. 個性とは何か
- 51. 小欲と大欲
- 52. 哲学と欲
- 53. コミュニティの障害
- 54. お遍路の醍醐味
- 55. DCが静岡で開催
- 56. 東海バスからパンフレットの制作依頼
- 57. 地域イベントとコラボ
- 58. 地域イベントから外される事に
- 59. トラブルの予兆
- 60. トラブルに巻き込まれる
- 61. 再起するにあたり
- 62. 札所の入れ替えについて
- 63. 山主も人間
- 64. 静岡DCに選考されるも取り消しに
- 65. 伊豆88ウォークの開催
- 66. 札所による霊場会の発足準備
- 67. 多宗派が混在する難しさ
- 68. 静岡DCが選考されず
- 69. 副会長が病気を患う
- 70. 伊豆霊場振興会の後継者を探す
- 71. 候補者が見つかるも・・・
- 72. NHKドラマの舞台
- 73. 霊場やお遍路さんに罪はない
- 74. 札所0番の撤退
- 75. 伊豆八十八ヶ所霊場は無くならない
- 76. ITコンサルティングを開始
- 77. 札所0番が復活
- 78. 時が解決する
- 79. 再起をするにあたって
人生の苦悩
私の人生は、本当に不可解な人生を歩んできたと思います。
幼少の頃から人間の不条理に悩まされて、社会に出ても、何度も何度も社会不適合者として「No」を突き付けられました。
結論として、IQに異常値が出ている事が一つの原因だと思いますが、もう一つは高IQにも関わらず、本能や感情を優先する意思決定をします。これが理解し難い人間となっているのではないかと思います。
勉強は、そこそこ出来ましたが、何で既知の情報に対して暗記をしなければならないのか理解できなくて、要するにインデックスさえ頭に入っていれば問題無いと思っていたので、試験なんて教科書を置いてやれば良いと思っていました。
中学1年生の夏休みを過ぎた頃には、学校の教育制度に反発し、時代背景もありますが、先生との対立や同級生との喧嘩はしょっちゅうでしたので、何度も停学を貰い優等生とは真逆にいました。
中学校の同級生だった妻と19歳で結婚し、長男と次男を授かりました。
社会不適合者
大学に行けなかった私は、町工場に勤めました。
子供を授かっていたのですが、当時の給料では到底生活できないと判断し、実力主義の営業職で、個人消費の一番大きな住宅営業をする事にしました。
私の両親も、妻の両親も、決して裕福とは言えなかったので、もうガムシャラに働きました。年間の休日など数日という年もありました。
しかし、組織や上司と合わずに、辞めたり辞めさせられたりと。
それなりに成績は良かったですし、働くのが好きだったので、次の職場には困りませんでしたが、子供がいるにも関わらず20歳台で7回も転職を繰り返します。
追い込まれるように起業
給料は良かったのですが、転職を繰り返していた為に、30歳を過ぎた頃にも貯蓄は無く、どう考えても子供たちの大学の教育費が出せないと判断して、その時に嫌いな勉強をしてマイクロソフトの資格を取ってIT会社を起業します。
ITと言っても、どこかのIT企業にいた訳でもなく、修理屋さんやパソコン教室に勤めていたわけでも無いので、裸で戦場に出て行くようなものでした。
直ぐに借りたお金が底をつきヤバイ状態でしたが、法人会などに参加した事で、仕事が増えて行って、なんとか生活が出来るレベルになって来ました。
伊豆八十八ヶ所霊場との出会い
昔から、なぜか分かりませんが神社仏閣が好きで、子供の頃からよく一人で神社仏閣で遊んでいた覚えが有ります。
三島大社の近くに事務所があったのですが、仕事の合間に大社の境内でゆっくりとしている事も多かったです。夜中の境内は「凛」としていて、とても気持ちが良いです。
お客様から伊豆八十八ヶ所霊場のホームページを作る仕事があり、取材までしていたら、WEB制作の費用が跳ね上がるので、取材費を頂かずに、取材した素材は私の権利という契約で仕事は進めました。
趣味を兼ねて取材をしながら作ったのですが、その時の取材の資料を基に、本の出版をする事になります。
資料があまりに少なく、当時あった丹羽圓宗老師の本が絶版だったことから、まだ、ご健在だった頃に挨拶をさせて頂き、本に書かれている記事を使っても良いという許可を頂いた事から、文字お越しをしてまとめ始めました。
その頃に、伊豆霊場振興会の第三代会長の田中様と出会う事となり、アドバイスを頂きながら、本の出版の準備を進めます。
最初の遍路
なんだこれ?壮大なスタンプラリー!楽しそう!
そんな感じで、妻をつれて一緒に行ったのが始まりです。
妻は興味も無かったみたいですが、美味しい昼飯がありつけると、私としては話し相手となってくれるので、とても楽しい時間となります。
ただ、作法なんて1ミリも分からないですし、お経とか勘弁して欲しかったです。もちろん、ご本尊とかは「仏像」で一括りですし、宗派とかも関係ありません。
最初は、皆、そんなもんです。
寺院を「見学」して、納経所に行って御朱印を貰い、そして次の寺院に向かいます。
そして第28番札所の大江院で、ちょっとした縁がありました。
お経を唱えられるのか?と聞かれたので「いいえ」と伝えると、ご住職様が手招きしてくれた。近づくと、ご住職様の隣に並びなさいと言われて、並んでいると、代わりにお経を唱えてくれた。
5分程度の短い間でしたし、何を言っているか等分かりません。ただ、不思議な時間だけが流れて、なんとなく「ありがたいな~」と感じていました。
最初のお経との出会いです。
不思議な体験
男性なら、父親との確執を持ってい人も少なくないと思いますが、私もその一人でした。
一度、大喧嘩をして、反射的に手が出てしまったのですが、私は左拳の骨を折り、父は鼻の骨を折るような事が有りました。謝罪をしましたが、その喧嘩の原因を、私は許す事が出来ませんでした。
実家と疎遠になっていましたが、伊豆八十八ヶ所霊場の取材を進めている最中に、下田の国道を車で走っていると、自分の意識に大きな大きな黒い「憎悪」の玉が出てきました。
「うん?」ってなっていると、その黒い玉が天秤に乗っている事に気が付き、その天秤がバランスがとれている事にも気が付きます。そして次の瞬間、反対側の天秤が出てきて、今度は白い「愛情」の玉が出てきました。
瞬間的に自分の父親に対する気持ちだと悟り涙が溢れてきました。
そうです、私の愛情の大きさと憎悪の大きさは一緒で、私は父親が好きだから、同じ大きさの憎悪を持っていたのです。
もう涙で運転も出来なかったので、路肩に停めて時間を過ごす事にしました。心が落ち着いたころ、取材を切り上げて実家に向かいました。
父に車の中で起こった出来事の話をして、今まで私の身勝手な愛情を、父親の理想像としてぶつけてしまっていた事を、心からの謝罪をしました。
今でも、左拳の薬指と小指は少し凹んでいます。
伊豆霊場の本を出版
本を出版した時に、伊豆日日新聞で取り上げて頂いたのですが、その事を父親の報告しようと実家に向かうと、父親がそそくさと何かの資料を持って私を避けました。
どうも伊豆日日新聞を近所に配りたかったみたいですが、それを見られたくないという、そういう父親でした。
それから間もなく、父親が鬱病を患う事になります。人間は愚かな生き物で「金の切れ目は縁の切れ目」という事で、信じていた人に何度も裏切られて鬱病になってしまいました。
今では鬱病なんて風邪みたいなもので、特に真面目な人ほど鬱病になりやすいという傾向となっていますが、当時は東京の病院に通っていました。
何度も私を呼びつけては人生の愚痴をこぼしますが、鬱病になった自分を許せないのか、最後は命を絶ってしまいました。
親の死に目に子供は成長すると言いますが後悔先に立たず。
今でも、毎月、父親の墓参りに行って、その月の出来事を報告しています。
私も鬱病の薬を飲んでいますが、毎月落ち込む時期が来るので注意しています。
2008年4月
銀行との戦いが勃発
色々と慌ただしさが無くなった頃、今度は母親から連絡が入り、実家が競売にかかってしまうとの事。
生命保険がかかっていないと銀行から連絡が入ったそうで事情を聞きに行きました。どうも銀行では無く保証会社扱いになっているそうで、生命保険が効かないとの事でした。
詳しく聞いて口座を確認すると、明らかに「ジャンプ」させて意図的に焦げ付かせていました。
弁護士に相談するも、三件ほど回りましたが戦う気も無く、そんな訳ないとのお断り。こいつらは事実認定と感情論を区別できない馬鹿な人種なのか?と思いつつ、諦めて一人で戦う事にしました。
徹底的に法律を調べ、録音機を持って銀行に出向きました。
静岡県では有名な地方銀行ですが、最初は支店長だったのですが、取締役レベルが担当となり、事実確認と証拠を並べて話をします。最後に「貴方みたいに銀行に対して個人でここまでやる人は初めてです」と言われて、印鑑代の50万円と引き換えに1.5億の借金を帳消しにしました。
こっちも銀行がここまでやるのか?と初めてでした。
銀行は金貸しのプロです。お金が商品なので、お金を回収するのが仕事です。当たり前の事ですが、銀行に感情論に訴えても無駄ですし、理論的に話をすれば喜んで貸してくれますし、返済をすれば信用も得られます。
借りたら返すのが当たり前。
ただ不正は駄目だ。
正義とは
父は、いわゆる極道と呼ばれている人からも借金をしていたようです。
通夜に来て「生前の父には、ビジネスとして面白い案件に携わらせてもらったし、父といる時間が楽しかった。」との事で、かなりの金額の借用書を墓前に置いて行きました。
父は不器用でありましたが真面目な性格で、大風呂敷を広げますが義理人情に篤い人です。
銀行と極道の対照的な対応で、どちらが正義だろうか。
お遍路ビジネスの失敗
本を出版できたことをキッカケに、地元の旅行会社と協業でお遍路ビジネスをする事になります。
HISやクラブツーリズムと交渉し、お遍路ツアーを催行し、地元でのハンドリングは旅行会社とやるということで、私は、WEBサイトにバナーを貼ったりして宣伝告知をするという役割です。
一回はクラブツーリズムで伊豆八十八ヶ所霊場のお遍路ツアーが催行されましたが、寺院の対応が悪いという事で、それ以降のお遍路ツアーが催行されることはありませんでした。
結局は、もっと根回しをするべきでしたし、私自身がお遍路をしていなかった事で、ビジネスが先行してしまい深みの無いビジネスになってしまっていたと思います。地元の旅行会社もお遍路ツアーで添乗していても、実際にお遍路をした事なかった事も災いしたと思います。
地元の旅行会社とは意見の食い違いで関係は終了しました。
人生の転機
色々なプログラミングを独学でやっていたのですが、ひょんな事から投資プログラムの案件が入ってきました。
そもそも、母親が雀荘を営んでいた事もあり、中学生ころから代打ちをしていましたし、統計学も好きだったので、かなりはまりました。ブラックジャックのカウンティングを発見したMITの教授も凄いと思いますし、ポーカーも非常に面白いゲームだと思います。
その時にまとまったお金を稼ぐ事が出来ましたが、私にも、お金が人を変えてしまうと感じる機会がありました。
導かれるように四国遍路へ
社会とのズレ、父親の苦悩、銀行の件、協業の難しさ、投資案件のトラブル・・・本当に色々な事が有りました。
目的が明確な請け負う仕事は問題無いのですが、自社案件と言いますか、協業に関してはことごとくうまく行きません。
人間は、不合理な感情で意思決定をしている事を、何で合理的な意思決定だと認識しているのかが理解できない事が原因です。
会社の組織や上司とうまくいかない理由と一緒です。
ただ私には家族がいたから心が救われていたと思いますし、今、生きているのは妻と子供たちがいたからだと思います。
色々と疲れたのか、蓄積していたのが堰を切ったのか、思い立ったように、妻に「明後日から四国の遍路に行ってくる」とつたえて四国遍路に向かいます。
ただ漠然とではなく、今までの経験が積み重なって、明確な目的がありました。
1つ目は「人間はどうやって不条理と向き合って来たのか」という事。
2つ目は「何百年も続いているビジネスモデルの調査」です。
意気揚々と四国遍路の旅
ただ、歩くだけだろ?
何の準備もせずに、カッコイイ靴やカバンを持って向かいました。作法も少しかじっていたので、大丈夫だろうと思っていましたので、遅くても45日位で帰って来ると思っていました。
昔から持久走やマラソンなど大っ嫌いで、ほとんど参加していませんでしたし、ウォーキングとかも無縁ですし、どちらかというと嫌いなジャンルです。
ただ、ひたすら歩くってマジつらい・・・・
まず、ネットで調べた必需品を最大限詰め込んだリュックとカッコイイカバンが重たい。そして致命的だったのがカッコイイナイキの靴です。一日目から足にマメだらけ。靴屋に飛び込むと、慣れた様子で「ハイハイ」と言いながら、足を見てくれて靴を紹介してくれた。
宿について、足の手入れをして、とにかく金で解決しようと、荷物は必要になった時に買う事にして、余分な荷物と靴を一緒に家に送った。
お遍路の朝は早く出て行きます。最初は、無理せずに10km程度に設定しましたが、それでも連日で歩くという事は、とにかく疲れが抜けません。
宿に着くと、今度は足の手入れや洗濯などをしますが、家では妻がやってくれたことを、お遍路では自分でやります。洗濯機が無ければ、近くのコインランドリーまで行きます。
そして日が昇り歩き出します。
遍路落ちして帰宅
遍路転がしと言われている、お遍路さんが脱落する最初の難所である焼山寺も過ぎ、一週間もすると体も慣れてきます。
しかし、相変わらず疲労が抜けないのと、足のマメ問題は解決していません。
完全に舐めていました。
そこに雨が降って来て事態は悪化します。雨が降ったらコンビニでカッパを買えばいいやと思っていましたが、コンビニのカッパが、歩き遍路に耐えれる訳が有りません。
これでは、お遍路どころではないと「バス」に乗りましたが、これが全ての間違いの始まりです。
電車やバスでのお遍路も全く問題無いですし、自家用車でも良いと思います。しかし、私は「歩き遍路」を通じて、明確な2つの目的を感じようと来ていました。
現代の文明である電車やバスでは、何百年も続くビジネスモデルを理解できる訳がありません。
次の日も雨が降り快適なバスの旅となります。札所までバスで移動して、本来歩いて来る距離なので時間が余るので、休憩を長めにとって次のバスを待ちます。
今度は晴れても、自分勝手な理由で意思決定したバスの旅の選択は、あらゆる自分勝手な理由を探す事になります。
ほら「あれ」があります。
解決していない足のマメ問題です。快適なバスの旅で、少し歩くと足がまた悲鳴を上げるようになります。
もうタクシーで快適お遍路でもいいんじゃね?
俺、何やっているんだろ・・・
高知駅で涙が溢れてきて、俺「もう帰ろう」と、2週間で落ちました。
再起を誓う
後に伊豆霊場振興会の副会長になる先輩に報告に行きました。
完全に準備不足だった事と、いつもの悪い癖で舐めていた事が全ての原因。
半年後に設定をして、先輩の仕事の関係で、1回目と同じ2週間で「一緒」にお遍路に向かう事になりました。
二人で綿密に計画を立てて、靴は登山用の靴で、靴下も左右違いのパイルが深い靴下。もちろんカッパもモンベルのいい奴!リュックも背中が通気が出来るタイプを用意した。マメ問題も解決できる様、塗るタイプを用意した。
さあ!行くぞ!
同行二人
先輩は初めてのお遍路ですが、私は遍路落ちの経験者。
初日からドキドキしながら丁寧に歩きます。とにかくペースを一定にする事も大事ですし、一度、足にマメが出来ると、その足をかばう事で逆も出来るという悪循環になる。
順調に行程が進んでいましたが、今度は先輩の腰痛が始まりました。病院に行くと言い出しましたが、病院に行ったら、病院は原因を排除する立場なので、とりあえずお遍路を中止しなさいとなります。
病院から中止と宣言されると、もうメンタルがやられます。
先輩は後ろ向きで歩いたり、坂道をジグザグに歩いたり、休憩を取りながら、お互いに励まし合いながら一歩一歩進めます。
不思議なもので、人間、慣れてくると痛みが消えてきます。
まさしく「同行二人」で、2週間の予定の行程を終了する事が出来ました。
1回目の遍路落ちした時とは、気持ちが全然違う!
達成感もあり自信が付きました。
直ぐ四国遍路に向かう
一度、出来る経験をすると人は変わるものです。
全ては先輩のお陰ですが、完全に自信を付けた私は、1ヶ月も待たずに、後約半分の600kmだったので結願するつもりで四国に向かいました。
しかし初日の宿で怒り心頭。
夕飯も雑だなと思っていたのですが、朝食で虫が集っていたので指摘をすると、お遍路さんは感謝して食べるんだよと馬鹿みたいな理論をかざす。
それは、お遍路さんが自分に向けて使う言葉であって、お遍路さんに向けて使う言葉ではありません。
昔から、どういう立場で物を言っているんだ?と思う事も多いですが、信仰や宗教は自分の内側で解決する問題ですが、どういう立場か分かりませんが、ヤバいのが思想を強要する人種です。
朝食を残して宿を出ましたが、案の定、午後からお腹を壊して上から下から大変な事になりました。次の宿まで、なんとか辿り着けましたが、事情を説明して、夕飯も食べる事が出来ずにトイレを占有すると伝えました。
冷や汗をかきながら寝込んでいると翌朝もやばい・・・。病院を教えてもらい、保険証の件で妻に連絡をすると「帰ってくるなよ」の一言、我に返り、病院に行かずに宿に戻ります。
その日も連泊をさせて貰いましたが朝には治っていました。
何も食べ物を入れていなかったので逆に体が軽くなったというかコンディションが良い。
鼻歌まじりでお遍路再開です!
景色は心で見ている
面白い事に、1回目のお遍路をしている時には、快適なバスに乗り始めた頃には、なぜか「俺を見るな」オーラを出しまくりです。
自信が無くて、余裕も無くて、負い目だけは一杯あって・・・
四国にはお遍路さんが一杯いるので、バスやタクシーでお遍路をしている人達もいますし、見慣れちゃって誰も私を見ていませんが・・・
お遍路バスツアーのバスから、歩いている私に気が付いて、手を振っているお遍路さん達を見るとイライラしました。
もちろん、札所で話しかけられても無視です。
言ってしまえば、中学生や高校生の反抗期と同じ心境です。
四国でも歩いてお遍路している人は、年間500人にも満たないと言われているので、とても珍しいそうです。
しかし、3回目のお遍路では、誰も私を見ていませんが、なぜか「俺がここにいるぜ」オーラを出しまくりです。
自信があって、余裕もあって、負い目などかけらもありません。
お遍路バスツアーのバスから手を振られれば笑顔で返します。札所で声をかけられれば一緒に写真とか撮っちゃいます!お遍路が「楽しい」と雄弁に語ります。
そう、何も周りは変わっていないのに、私の「心」が変わると景色も変わります。
皆が、あなたの事をどう見ているかは、あなたの心が決めています。
お遍路さんはヒーロー
歩いてお遍路をすると、情報がゆっくりと深く入って来ます。
昔は動力は無いですし情報は口伝や手紙しかありません。旅費も大変ですが、藩をまたぐのに許可が必要です。
どうも昔のお遍路さんは、藩が身元の保証した人がお遍路をしていたそうで、旅費も藩が賄っていた場合もあったようです。要するに、出身地の名士がお遍路が出来たと聞きました。
なので、お接待と呼ばれている、お遍路さんをサポートする人達がいる事も必然です。
実際に後半になってくると、歩き遍路で時間を共にする人達は、筋骨隆々で自信に満ちている人が増えてくるような気がします。体重はそんなに減りませんが、ぜい肉から筋肉に変わってくるので体が締まって来ます。
昔は、お遍路で命を落とす人達もいましたので、四国遍路を結願して帰ると、その地域のヒーローだったのかもしれません。
お遍路さんの男女比
観光ツアーで参拝している人は8割が女性であるように思います。
そして歩き遍路をしているのは8割が男性であるように思います。
私の感想では、女性脳では占いなどを信じる人も多いと聞きますので、祈願に来るのかもしれません。そして、歩き遍路をしている人は、言い訳もせずにやり遂げる信念みたいなものを感じます。
1回目の私と、3回目の私で、明らかに3回目の私の方が信用できますし、多分、客観的に見ても、言い訳などしない精神力を持っている様に見えると思います。笑
しかも締まった肉体は頼もしいと思います。
現場に行くと、歩き遍路をしている人は、白衣もボロボロですし、日焼けやひげの感じ、雰囲気で分ります。納経所の脇とかで休憩していると、握手を求められますし、写真を一緒にお願いしますと、ちょっとした人気者になります。笑
お接待の文化が生まれたのは、やはり内助の功ではありませんが、女性陣が作った文化だとされています。
男女の性
今さら、LGBTQも含め男女平等と言っていますが、役割が違うだけで私も平等だと思っています。
ただ、同じ基準で見る事は良いのですが、同じ扱いをするのは、そもそも脳の作りも違いますし、生物学的な立場や性も違うので無理があるように思えます。
地球上に男女が半分づつだとして、仮に、なんらかの疫病で女性だけが半分になってしまった場合、次世代の人類は半分になってしまいます。
しかし、男性だけが半分になっても、次世代の人類になんら影響は有りません。寧ろ、半分になった理由が強い遺伝子を残す為だった場合、人類にとっては好都合です。
だから女性の脳は、争いごとを避けて共存の選択をするし、男性の脳は争いごとを好んで強い遺伝子を残そうとします。
本能として「当たり前」の事です。
面白い事に、IQの分布も男性の方が偏差が大きくて、IQが高い男性も多いのですが、逆にIQが低い男性も多く、刑務所にいる人たちのIQが平均より低いという研究結果がありますが、軽犯罪を犯すのも男性が圧倒的に多いです。
女性は子供を育てるという立場があるので、IQが低い女性だと子供すら育てられないので、上下が絞られているのだと思います。
女性が主体で男の子を育てるのが難しいとされているのが、そもそもの本能(役割)が違う事と、人類としての構造の違いがあるからだと思います。
育児を放棄した父親と、賢いお母さんと、その優しさに「あぐら」をかいて、狩りもしないでニートの選択をしているのは、たいてい「男」です。
やっぱり夫婦が大事なんですね!
人間の欲を受け入れる
お遍路をしていると、妙な人達に出くわします。歩いて何日目かと聞いて来たり、四国遍路は何週目か聞いて来たり・・・
要するに、彼らの「お遍路」は数値的な評価であり、いわゆる競技となってしまって、数値が高いと「偉い」となっている人もいます。
私の目的は、そんな事ではないし、競争をしている訳ではないし、そもそもウォーキングとか登山とか嫌いで、マラソン大会に至っては、高校生時代は三年間病欠です。
何日目かを正直に答えると、それは「遅い!」と早く巡るコツを丁寧に教えてくる。興味が無いので、早々に「それがどうした?」と返すと、不思議そうに去っていく。
そして、赤色の納札(名刺代わりに使います)を渡してくる人がいた。
何週目とかで、納札の色が変わる事を知り、その色で納札の値段も上がって行くとの事。
そう、お遍路のシステムとして、人間の欲をうまく受け入れているのです。
無理をするから偉くなる
勉強でもそうですが、お遍路でもそうだと思いますし、多くの「無理」を達成した時に、人間は偉くなってしまうと感じています。
例えば「楽しそうに滝行」をしている人は、自分で「凄いと思っていない」のですから、講釈を垂れる事はありませんし、他人が出来ない事を馬鹿にしませんし、価値観を強いる事もしません。
自分が好きでやっている事ですから。
ただ、やらされたり、目的のための手段で仕方なくやっている場合には、達成した時に、どうしても「偉く」なってしまい、私も例外では無く、自分を褒めたくなります。
「苦しい滝行」を達成した人は、自分で「凄いと思っている」ので、他人も凄いと評価してくれるのではないかと思い、講釈を垂れて、他人との比較をしてしまうのでは無いでしょうか。
一生懸命やる事
「一生懸命やる」というのは、一見、響きは良いのですが、これを自分に向けて使う時はやはり無理している状態です。
もし、子供が「僕は一生懸命やっているんだ!」(頑張っているも同様)と言っていたら、なぜやるのかを教えてあげればいい。
これを褒めてしまうと、嫌な事をやる事が良い事なんだと勘違いします。嫌々やっているのであれば、むしろ止めさせた方が子供の為です。
勉強とか、逆にやっては駄目だというと「不安になってやらせてください」と言ってきます。そこで、なんでやるのかを考えさせればいい。ここでやる理由を言ってしまうと効果は半減します。
ゲームや料理が好きな子供は、間違っても「僕は一生懸命やっているんだ!」とは言わないです。
「一生懸命やっているね!」とは、他人に使う言葉ですね。
私の家の家訓は「嫌ならよせ」です。笑
精神が肉体を支配している
3回目のお遍路は、約半分の600kmを歩きますが、29日で結願したので一日約20kmのペースで参拝した事になります。
だいぶ、体が慣れてきたので、愛媛県の今治の所で、今日は宿を決めずに行けるところまで行こうと決めて出かけました。
一歩一歩、着実に歩みを進めますが、人間って面白いもので、自分が出来ると思っていると出来るのですね。休憩は挟みながらですが、足が疲れていても着々を進んでいきます。
夕方になり日が暮れて、足のマメが気になりだしたら、もう気になって気になって、結局は30km程の所で倒れこんでしまいました。肉体よりも先に精神がやられると、肉体は動かなくなります。
そういうのを実感できるのも、歩きお遍路の醍醐味です。
暗い中、宿の手配をして、体が動かないのでタクシーを呼ぶことにしました。翌朝、宿から同じタクシーに来てもらい、昨日乗せてもらった場所に戻りお遍路の再開です。
タクシーの運転手さんからはそこまでしなくてもと言われましたが単に自己満足です。
肉体の前に精神が、精神の前に本能の領域がありますが。
四国遍路も終盤に
楽しいお遍路も終盤を迎えます。
結局、歩き遍路は、少し特異な人達と時間を共にする事になるので、その経歴や話も面白い。会社経営者も多いのですが、社員ですが勉強のために来ていたり、組関係の人であったり、単に肝試し的に来ていたりと。
すれ違う事は有りますが、基本的に歩幅が違うので結局は別れます。
特に私は遅いので皆に抜かれますが、ゆっくりと確実に一歩一歩を積み重ねていきます。
最後の宿は、八十七番札所長尾寺の近くの宿に宿泊をしました。
早めについたので、荷物を宿に置かせてもらい、長尾寺の境内で、この「お遍路ってなんだろう」って、長い時間ぼーっとしていたのですが、まだ、何も成し遂げていないという事しか頭に出て来ません。
確かに歩いて参拝した事には変わらないのかもしれませんが、その経験が「まだ」活かされていないのです。
ですから、お遍路での経験が「何だった」のかは、これからの私の「人生」で決まるのではないかと思いました。
納経印を貰わない選択
結論として、最後の大窪寺では納経印は貰わない事にしました。
何かを「成し遂げた後」に、ご報告と感謝を込めて、再度、四国遍路を楽しみたいと思います。(もちろん、この時に伊豆霊場振興会の会長になるとは思ってもいませんでした)
宿に戻り、考えた結論を宿主に伝えると、かなり驚いて「今まで何千人も見送ってきましたが初めて」だという、最後の大窪寺の納経印が欲しくて、皆、参拝しているのに、それを貰わないとは驚きだそうで、貰っといた方が良いとも言われました。汗
感情論では無く、合理的な判断なので脳はスッキリしていました。
多くの方が、手段(納経印を貰う事)が目的となってしまうので、納経印を集める事が目的となりますし、その証明が欲しいのだと思います。私のお遍路の目的が、納経印集めでは無いから貰わない事が出来るのと、もう一つは、歩いたからこそ、納経印の意味を考えてしまうのでは無いでしょうか。
とても珍しい大窪寺だけ欠けている納経帳の誕生です。
四国遍路の最終日
最終日は約16kmの道のりですが、少し遅めに出ました。
ゆっくりと歩きながら、途中、何かの会の結願証明書を貰える所に「休憩」として寄りましたが、既に情報が共有されていて「貴方が大窪寺の納経印を貰わない方ですか?」と聞かれた。
また「貰った方が良い」とアドバイスを貰います。笑
後から聞いたのですが、歩き遍路さんの情報は宿同士で共有している場合もあるそうです。
最終日なので気持ちが整理されているのでしょうね。足取りも軽く、お昼過ぎには大窪寺に着きました。
大窪寺で休憩をして、ゆっくりと納経を済ませて結願証は頂きましたが、私の納経帳は白紙となっています。
感動して涙が出るかと思いきや、そんな事も無く、かなり自然体でした。きっと、脳の中では「道半ば」となっているのでしょう。
すぐ近くに蕎麦屋があるので、蕎麦と、ちょっとしたご褒美の、昼間からのビールを飲んで帰路に着きます。
高松駅で宿泊して帰ったのですが、駅でも人目が気になりません。
何も変わらない駅の風景。
何も変わらない私。(ご利益などはありませんからね!笑)
日常が戻って来ました。
これで、私の四国遍路の旅は終わりました。
2014年9月23日結願
私の四国遍路
私の場合、
一回目の遍路では舐めてかかり心の弱さで断念しました。
二回目の遍路では先輩に助けられて自信をつけました。
三回目の遍路では楽しみながら結願する事が出来ました。
全ての物事がそうですが、失敗や挫折は、成功や達成への糧になれば良いと思っています。
今の世の中では、失敗は駄目な事と判断されることも多く、失敗が怖いので言い訳をしながらチャレンジを避けたりする人も見受けられます。その様な価値観の人ほど、失敗をした人に対して厳しく当たったり、自身の失敗を隠そうとします。
どんな業界やスポーツでも、一流と呼ばれている人ほど、失敗の「数」が一流だと思います。それを乗り越えてくるから一流であり、失敗をしていない人は、失敗をしない程度の選択をしてきたのだと思います。
失敗を恐れたり、失敗を笑う人は放っておいて、応援をしてくれる人と共に果敢にチャレンジする事が、漢(おとこ)として大事な事では無いでしょうか。
果実や野菜でも、過酷な環境で育った生き物は非常に甘いですし繁栄の種になると聞きます。自分に厳しくすると、他人に優しくなれるのでは無いでしょうか。
四国遍路が衰退しない理由
四国を歩いていると、お遍路さんの為に、わざわざ道沿いにミカンとかを収穫しないで残してあります。実際にお遍路中の果物はとても嬉しいです。
この果実ですが種は果肉で覆われていますが、例えるなら「種」は「信仰」で、甘い「果肉」は「観光」だと思います。
信仰だけだと誰も見向きもしませんし、観光だけでも中身が無く、空しい状態となります。「信仰」と「観光」のバランスによって、繁栄をするものだと思う。
そこにあるのは、やはり生死を賭けたお遍路さんと、それを支えたお接待さんの文化だと思う。
今では、歩き遍路だったとしても命を落とすことはありませんが、江戸時代には何人も命を落としていました。だから、お遍路の正装は白装束ですし、金剛杖は墓標の役割を果たす為に「塔婆」の形となっています。
やはり、今でも「歩き遍路」(信仰)をしている人がいるから、深みが出るのであって、それを支えているお接待さんや、その人達を応援したり共感するために催行される「お遍路ツアー」(観光)も大事な要素だと感じます。
私の感想ですが、信仰による「お遍路」と、観光の「お遍路ツアー」が両輪となって繁栄するのだと思う。
その構造があるからこそ衰退しないと感じます。
昨今の四国遍路の参拝客の減少は、観光色が強くなっているのかもしれません。実際に信仰による「お遍路」さんを相手にしていると、手間ばかりがかかって「儲からない」ですから。
儲からないから、粗末に扱いだすと「核」が無くなって「空」しくなるのでは無いでしょうか。
やはりバランスが大事です。
これは、どのビジネスモデルにも言える事では無いでしょうか。
伊豆霊場振興会の会長就任
二回目に一緒に参拝した先輩には、LINEで報告をしていたのですが、伊豆霊場振興会の三代目会長の田中様に報告に上がりました。とても喜んで下さいまして、ご自身のお遍路の体験も色々とお聞きする事が出来ました。
すると間もなく、第三代目会長から伊豆霊場振興会の第四代会長になってくれないかという相談がありました。
そもそも会社経営をしていましたし、社員がいないので、そんな余力がある訳でもないです。一度はお断りをしましたが、再度、お話があったので、悩んだ結果、二回目に同行して頂いた先輩に相談する事にしました。
結論として一緒に継承するのであれば良いという事を伝えて第四代会長就任となりました。
まずは、調査から開始する事になります。
社会不適合の原因が判明
そして間もなく、テレビでMensaという高IQの世界的組織がある事を知りました。(Mensa基準のテストでIQが人類の上位2%(1/50)であることが入会条件。)
日本では高IQの人は苦労するという番組構成だったのですが、中学生の時に、職業適性テストかなんかでIQに異常値が出ている事で、学校に呼び出された事を思い出しました。
そしてMensaの試験を受けたのですが、やはり合格しました。
ようやく、苦悩の原因が分かった瞬間です。
合格通知が来たときに、苦悩の原因が分かった事で涙が溢れてきました。一番、喜んだのが妻で、昔から、社会との関わりの中で、いつか自らの命を絶つんではないかと心配していたそうです。
翌年には、ギリシャの高IQ団体であるHELLIQにも入会しましたが、HELLIQの入会条件はIQ160以上なので1/30000となり、私のIQは162で1/50000だそうです。
高IQの特徴
Mensaの会員と交流して感じたことは、いわゆるネチネチしたセコイ奴が多いと感じています。(笑)
幼少のころの画一化された教育環境による弊害(反発なのか負の連鎖なのか)と、論理的思考がもたらす、私の勝手な印象(感情論)です。
私の様に、教育現場や社会に対しての自己表現できれば良いのですが、日本ではギフテッドと呼ばれている高IQの人達は、個性に否定的な教育現場では窮屈な思いをすると思います。
例えば結婚などは、理論的に考えたら、余り合理的では無いと思いますが、私は、単純に「好きだから」結婚をするという事で良いと考えてしまいます。
Mensa会員が、結婚をしない(出来ない)人が多いと感じていますが、それは結婚観を理論的に話をする人が多いからではないかと感じています。
セコイと書きましたが、これも計算して動く人の私の勝手な印象だと思います。
ただ、IQテストには正解がありますが人生に正解はありませんし、個人によって幸福は違います。経験の乏しいMensa会員で、理論的な解決が人生の正解だと勘違いしている人達も残念ながらいます。
しかし、少なくとも、本能を優先している私は、私にとって幸せな人生を送っています。
知多四国の視察
前会長から、知多半島の知多四国では年間約5万人が参拝していると聞き、信じられなくて前会長と一緒に視察に行ってきました。
「歩いて巡拝(まいる)知多四国」という事で、名古屋鉄道が主導により電車+徒歩のコースで、月に1-2回の催行で3000人-4000人/回の参拝者がいるとの事。
実際に行くと、最初に駅で今回のコース地図を貰います。概ね10kmのコースに3000人ですから、スタートから行列が出来ていて、前に人がいるので地図など必要ありません!笑
格好も、お遍路ではなくウォーキングのスタイルで、ご夫婦やファミリー、お孫さん連れなども多かったです。
コース上では店舗前でお土産を売っていたり、境内で屋台やお接待が出て大賑わいです!
名古屋鉄道の担当者と話をさせて頂きましたが、ほとんどが愛知の名古屋からの参加との事でした。
まさしくビジネスモデルとしては、こんか感じです!
東京や神奈川から来て頂ければ、間違いありません!笑
「いにしえ」の遍路道を発見
前会長から聞いていたのが、第49番札所の太梅寺から第50番札所の玄通寺までの遍路道が見つかっていないとの事でした。
そこで副会長と共に調査に行きます。
山頂付近の観音温泉側から竹の子村までに道が抜けているものだと思って上から当たって行きました。
歴代会長が探しても見つからなかったので、既に獣道になっているのだろうと、なんとなく道となっているような所に入っては、行き止まりを繰り返しました。
何度も現場に行き、何日目だろうか、蓮台寺温泉側から太梅寺に行けるのではないか探っていると、太梅寺の目の前の川を挟んだ民家の脇に出ました。
ようやく蓮台寺温泉から太梅寺への道を見つけると、今度は蓮台寺温泉から玄通寺方面に抜ける道を探しました。
川沿いに比較的道なりに行くと、頂上付近で開けて木洩れ日の中に、大木と石碑群が現れます。
今でも体が震えたのを覚えています。
石碑を見ると「四国八十八ヶ所供養塔」となっていて、供養塔の年号は明治となっていますが、石仏は天保なので江戸時代。きっと、この道が遍路道であったに違いありません。
さらに下って竹藪を抜けると、石積や石塔の跡が出てきます。
近所の人からは、玄通寺は昔は山の中にあったと聞いていたのですが、玄通寺があったと思われる場所を抜けると県道に出る事が出来ました。
今では、少し不自然な場所に玄通寺がありますが、山の中の場所であれば、違和感なく第51番の龍雲寺まで行く事が出来ます。
発見した時には、今まで詰まっていた「何か」が一気に抜けたようなイメージが有ったので、直ぐに復興するものだと期待を膨らませました。
伊豆遍路の発心
色々と調査が済み、方向性も見えたので、最後に私自身が伊豆八十八ヶ所霊場の通しで歩き遍路の実施です。
相変わらず、歩くのが嫌いな私ですが、腹をくくります。
四国の1200kmと違って444kmなので20km計算でも20日間で結願となります。それと何といっても地元なので、知り合いも多く、地理も分かっているので超安心!笑
宿泊施設も温泉三昧ですし料理も期待できます!
忘れてはいけないのが、一番の目的は、これからプロモーションを始める事の各寺院への挨拶と、最終的な霊場全体の確認です。
歩いて通し遍路をするという事は、伊豆八十八ヶ所霊場の開眼の意味も込めています。
2016年4月25日お遍路を開始
遍路転がし
1日20kmでも大変ですが、やはり連続して歩く事が大変です。
伊豆88遍路は初日から「国士峠」越えで、2日目には「益山寺」があります。
初日から足がつってヤバかったですが、なんとか騙し騙し歩きます。
やっぱり3日目が一番つらい・・・でも、その後が箱根峠まで平坦なのは分かっていたので頑張るよ!笑
実は、この最初の試練?がとても大事で、四国にも「遍路転がし」がありますが、この最初を乗り越えると心と体の準備が出来ます。
お接待の文化
お遍路を開始して間もなくですが「お!お遍路さんだ!」と声かけられる事がありました。
そして話しかけられて、お茶やミカンを頂く事もありました。お金を預かるときもありますが、次の札所で賽銭として供えて、代わりに読経して祈願をします。これが作法となります。
私は、四国遍路の文化だと思っていましたが、伊豆でも「お接待」の文化があったのが驚きました。きっと日本の文化なんだと思います。
良く出来た伊豆霊場
そして三島界隈まで来ると体が出来てきます。
そして箱根越えです。
東海道53次でも難所とされている箱根ですが、やっぱり伊豆霊場でも大変です。現在は、第20番養徳寺の函南から十国峠に向かいますが、江戸時代には第22番宗福寺からなので、三島から東海道を使って箱根峠に向かったのだと思います。
箱根を超えると日本屈指の温泉街「熱海」です!そして海岸沿いを下田に向かいますが、国道は危ない場所もありますが旧道を歩くと絶景です!
そして、大自然が残る「南伊豆」に入ります。なぜか分かりませんが、南の方は札所も多く、ゆっくりと参拝する事が出来ます。
そして歴史と文化の街「松崎」を抜け、最後に伊豆の歴史文化の発祥と言われる第88番修禅寺に向かいます。
まるで、伊豆半島が南側から衰退していく事を見越している様な札所の配置となっています!笑
伊豆88遍路日記はフェイスブックで報告しているので、ぜひ、ご興味のある方はどうぞ。
伊豆遍路の結願
ご住職様に、今後のプロモーションのご挨拶を兼ねて参拝したので少し時間がかかりましたが、それでも22日間で結願する事が出来ました。
健脚の方であれば14日で結願出来、費用は宿泊代と飯代で概ね1日1万円。
何といっても、歩いて通し打ちで結願出来る事を証明出来ましたのが嬉しかったです。
四国程ではありませんが、それなりの苦難があるので、今時のお遍路としては非常に楽しめると思います。
四国と違うのは、やはりインフラが整っている事でトイレが安心なのと、宿が素晴らしい事です。修行では無いので、托鉢する訳でもないですし、断食する訳でもありません。お酒も「般若湯」と言って飲んでも構いません。
もちろん自分に課題を設けてお遍路するのは自由です!
ぜひ、皆様のご参加をお待ちしております。
2016年5月16日結願
ご利益などは無い
よく神社仏閣などで「御利益」(ごりやく)という言葉を聞きます。
一般的な解釈として、神仏が人間に与える恵みとなっていますが、私の感覚では、お遍路に関しては、一般的な意味での御利益は無いと思っています。個人的には、神仏に関しては、人間の努力を見届けるのが神仏の役割だと思っています。
ただ、お遍路を結願して間もなくしてから、妻が「我慢強くなったね」と面白い事を言った。
要するに、潜在意識の本能に刻まれた体験は、本質的には顕在化しないのであって、顕在化している御利益などは、そんなつもりになっているだけで、それは御利益ではありません。
無意識の中にあるから体得したのであって、有意識にある時は体得したい願望が顕在化しているだけです。
無意識の顕在化は、長く自分を見てきた他人にしか分かりません。しかも、言われても、本人にとっては「普通」なので実感など在りません。
だから人に対して「お遍路はこんなに御利益があるんだよ」と伝える事は出来ません。
もし、あなたがお遍路をした事で、例えば大自然に触れる事で癒されて性格が穏やかになったり、先人達の功徳に触れて日本の先祖を敬い、感謝の気持ちが芽生えたとしたら、それは御利益と言えるとは思いますが、ただ、無意識の中に有るので無自覚です。
札所0番の設営
会長就任から、二年程は心の準備や調査に時間を費やしました。
色々と考えたのですが、私が経験した事として、最初にWEBサイトを作る目的で伊豆八十八ヶ所霊場を取材に行った時、とにかく作法やお経に困りました。それと、四国をお遍路した時に感じたことは、お遍路した体験を共有したいという事です。
人それぞれの事情があってお遍路に来ますが、私も例外では無く導かれて今に至ります。
人間というのは、認証欲求が非常に強く、少なくとも私は世界で自分一人になってしまったら生きていく自信が有りません。他人がいるから自分がいるという感覚です。
そこでコミュニティの意味も含めて「札所0番」の設置を検討しました。第1番嶺松院と第88番修禅寺の間で、修善寺駅からも歩いてこれる場所に設置しました。
会社の設立
後、副会長と話をして伊豆八十八ヶ所霊場をプロデュースする為の会社を作る事にしました。
私と副会長で、それぞれ500万円ずつ出し合って会社を設立しました。
それが「株式会社サイトプラス」となります。
サイトは「情景」を意味し、それを伊豆半島の観光コンテンツにプラスする意味が有ります。
伊豆八十八ヶ所霊場が伊豆半島のコンテンツになるように願って付けました。
2016年7月22日
次男の駿が一緒に働く事に
京都の大学に行っていた、私の次男の駿が新卒枠を蹴って、株式会社サイトプラスで働く事になりました。
海外に留学中に、日本の素晴らしい文化を海外に伝えたいという事で、観光事業に携わりたいというのが動機のようです。
スタートアップなので勉強になると思いますし、おっさん二人では、ちょっと印象が・・・笑
非常に頼もしい申し出だったので、喜んで受け入れました。
公式納経帳から制作
準備が整ったので、まずはブランディングをする為にロゴマーク、ブランドカラー、ポスターや販促物、メディア戦略のイベント用のテントやテーブルクロスなどのトータルデザインから入ります。
そしてWEBサイトを作り「伊豆88遍路」の始まりです。
まず公式の納経帳の制作からです。
本場四国では、境内に納経印を手書きで書いてくれる人が常駐していますが、連続した霊場で、全札所が常駐しているのは全国的に見ても非常に珍しいです。
知多四国では、複製に三寶印を押すだけの仕組みとなっていたので、更に、不在寺院の為に、三寶印を既に押した用紙と差し替えが出来るように、紐で綴じる仕組みとしました。
各寺院に声をかけて、ご住職や関係者にご本尊を書いて頂き、二ヶ月程かかりましたが無事に集まりました。
伊豆88旅宿の発足
私のイメージでは、旅行動機とは、宿泊施設にあるのではなく、その近隣の魅力が旅行動機になっていると感じていました。実際のデータ上では宿泊施設を目的とした旅行は3%満たないです。
しかし多くの宿泊施設では、施設の魅力を伝えている施設が多かったので、一緒に伊豆88遍路プランを出していただいて、宿泊があれば宿も良いですし、告知をする事で拡散にもなりますし、相乗効果があると感じていました。
そこで「伊豆88旅宿」という、お遍路さんを応援して頂ける宿泊施設を募集しました。
伊豆半島全体の課題
旅館さんや、観光協会との話の中で、結構な課題として、思っていたよりもITリテラシーが低いと感じました。
私としてはビジネスになるので良いのですが、これからの時代、世界に発信するのにITリテラシーが低いと、地方では生きていけません。むしろ都会なら人が密集しているので、逆にアナログという戦略もあるかもしれませんが・・・。
一番驚いたのが、伊豆半島の南部で、県の予算も含めて通信インフラの整備をする計画があったようですが、地元の自治体からは、不要だからお断りしたという。
流石にヤバイ。
多くのメディアに取り上げられる
地道な活動でしたが、少しずつ認知され始め、WEBサイトの閲覧者も「0」から始まりましたが、徐々に増えて行きました。
伊豆のほとんどの紙媒体のメディアと静岡第一テレビにも出演させていただきました。
やっぱり、このサイトでも使っていますが、若い女性をモデルにした写真とロゴマークのプロモーションが良かったのだと思います。
個人的に、一番うれしかったのが、なかなか出られないと聞いていた、静岡新聞の「今日のこの人」です。
自分探しの旅
よく、お遍路をする事を「自分探しの旅」として紹介されることもあります。
言葉の定義の問題かもしれませんが、私の意見としては、他人との関わりの中で「自分」が芽生えると思っています。
子供たちへの教育上、私は「何もない部屋」という例え話をしてきました。
生まれてすぐに、窓が無く、全てが真っ白で、小さな隙間から食事だけ出てくる部屋に20年過ごしたとします。
何も情報が無く「鏡」も無いので自分の顔すら分かりませんし、もちろん言葉も交わされませんし、全ての名前すら分かりません。
その人は「誰」でしょうか。
単に人間は「器」であり、何も入れなければ空っぽです。
人間とは、親兄弟や社会との関わりの中で「自分」が育まれるものだと思います。お遍路をした事で何かが生まれ変わる事は無いと思います。ただ、生まれた時の純粋な心のを思い出し、心の垢を落とす位の効果はあるかも知れません。
個性とは何か
同じ環境で育っても個性は違います。
その鍵を握るのが、神道の御神体である「鏡」だと感じています。
私のイメージでは、人は意識の中に鏡を持っていて、その鏡は人によって形や歪みが違うように思えます。
そして、外部から入ってくる情報を、鏡に映す時に色々な解釈で理解するのだと思います。十人いれば十通りの鏡があるイメージなので、解釈も十通りだと思います。
例えば兄弟や、同じ環境で勉強しても違う感じ方となるのだと思います。
生まれたての赤ちゃんは、鏡の形は人それぞれで違いますが、きれいに磨かれて素直に写します。
子供の鏡は親を映しているので、子供の悪事は親が深く影響しているというのは言うまでもありません。
そして、人生の経験を積むと、欲という垢がベタベタと付いて曇ってしまいます。
もちろん、欲があるのが人間なので、仕方の無い事ですが、時々、欲のない、大自然に身体を委ねて磨いてほしいです。
御神体の様に、丸く、歪みと曇りの無い鏡を持ち続けたいですね。
私の解釈では「神」とは、人間の細胞(潜在的意識)に内在する、先祖から授かった本能(経験や知識)だと感じています。これは、顕在的意識にある「自分」とは異なりますが、共存している気がします。
この概念であれば、色々と合点がいきます。
小欲と大欲
仏教の世界では小欲と大欲があるとの事。
私の解釈では、小欲とは、例えば、美味しいものを食べたい、良い車に乗りたい、良い家に住みたい、そんな「お金」で買える欲だと思います。
大欲とは、生きたい、学びたい、異性を大事にしたい、などの「お金」で買えない、本能的な欲だと思います。
私の感覚では、お金で買える欲は大した欲では無く、お金で買えない欲が大事だと思う。
ああ、くどいようですが、お金も大事ですからね!笑
このサイトでは、寺院に行ったら「大切な人の幸せを願う」としていますが、非常に分かり易い大欲だと思います。
哲学と欲
私は人間である以上、欲はあって良いと思っていますが、例えばブランド品を買って、人に見せて満足するような気持ちは欠片もない。
ただ、昔から車が好きで、結局ポルシェに乗っていますが、エンブレムに興味があるのでなく、純粋に人の命を乗せる車の機能美としての興味があり、ポルシェ博士の研究所から出てくる機械を介した哲学に興味があるだけです。
転職を繰り返して、お金の無い時には、バックミラーをガムテープで留めていた軽自動車に乗っていた時期もありましたが・・・
ブランド品を持っている人の中には、ブランド(創業者)の哲学に触れる事で学んでいる人もいると思う。
妻からはよく、ポルシェマウントと言われますが、車に興味の無い人ほど、その様に捉える人が多いと感じる。
だから私はブランド品を持っている人達に、逆にマウントだと思わないので「好きなんだな~」程度にしか感じませんし、羨ましいとも思いません。気が付けば「良い品物ですね」と応えます。
しかし「凄いでしょ?」と見せてくる人には「凄いかどうかは分かりません」と返します。
BMWやポルシェで営業に行くと仕事が無くなる事があるかもしれませんが、それでも、私は自分の気分で、自分の好きな車で出かけます。
ポルシェミーティングにも出かける事もありますが、哲学を理解している人達からは、共感を得る事が多いと感じています。
その価値観でコミュニティが楽しければ良いのですが、「偉い」とか「凄い」いう価値観は無いですね。
コミュニティの障害
言葉を介した誤解の原理は、話をする側の思考パターンと、話を聞く側の思考パターンで解釈が変わります。
私は勝手にマトリックス思考と呼んでいますが、結論としては思考パターンが違う場合、多くは「会話が成立しない」と感じています。
「小欲と大欲」で「ああ、くどいようですが、お金も大事ですからね!笑」の部分です。
【1】一元論者
ひとつの「思い」だけを正解だと決めつけて、対話と進めるタイプで、自分と違う意見だった場合「みんなが自分の意見だ」と思っているタイプ。要するに、自分の意見が正しいと思い込んでいる為、世の中の全員が、自分の意見と同じだと勘違いしているタイプです。そして相手が違う意見だった場合には、無関心の意味で「色々な意見があって良い」と言うタイプ。
【2】二元論者
好きか嫌いかなど、極端な2つの要素を並べて、どちらかに決めつけるタイプです。例えば「好きではない」と言うと「嫌いなんだ」と感じる人達です。お金で買える欲より、お金で買えない欲が大事と書きましたが、じゃーお金は大事じゃないんだと思う人で、日本の教育が二元論となっているので、一番多いタイプだと思います。
【3】多元論者
例えば、好きか嫌いかという話で、自分と相手の意見を分けて話をするタイプです。自分が「好き・嫌い」、話し相手が「好き・嫌い」という4分割されたマトリックスを持って話をします。自分が好きであっても、相手が好きだとも限りませんし、相手が好きだと言っても「そうなんだ」と否定もしません。全肯定しながら「色々な意見があって良い」と言うタイプ。
多元論者のマトリックスの中には、二元論者のマスがクロスして存在しますし、一元論者もどこかのマスの1つを言っている事が理解できますが、一元論者は二元論者の言っている事を「誤解」しやすいですし、一元論者と二元論者は多元論者の言っている事を「誤解」しやすいです。
誤解が少ないのは、同一元論内での会話です。
例えば「俺、マクドナルドが好きなんだよ」と言われた場合、一元論者と多元論者は「そうなんだ」と言いますが、その中身は、一元論者は3/4が無関心となり、多元論者は全肯定となります。二元論者は「そうだよね」か「え~」という反応になります。
そして「そうなんだ」と言っていた多元論者に「あなたは、どうですか?」聞いた場合に「俺は嫌い」という反応になる事があります。これが、一元論者や二元論者には理解できないので「誤解」を生みます。一元論者はの多くは自分に関心がないので「好き・嫌い」が存在していません。二元論者は「そうなんだ=同意」となります。
これが「捉える側」の思考パターンで解釈が変わるという原理です。最初の話し手は自分の元論をコントロールできないので、受け取る側が、どの元論なのかで解釈が変わってしまうという事で、いわゆる「認知の歪み」という事になります。認知なので受け取る側という事になります。
現実社会では、明確に「元論の領域」がある訳では無いので、そういう傾向という事になります。
私は、子供たちが二元論で解釈した時には、見えていない、もう2つのクロスのマスを考えさせます。そのクロスのマスが分かるようになると、相手の意見を理解できるようになりますし、あらゆる可能性を想定することで肯定できるようになります。
これはIQに起因するものだと思っていましたが、多少の影響はあるかもしれませんが、いわゆるEQ(優しさや思いやり)にも起因している部分が大きいかもしれません。
一元論者や二元論者は、見えないマスは見えていないので悩みません。コミュニティに悩んでいる方は、多分「多元論者」だと思いますが、見えないマスが何故見えないのだろうと考えるのではなく、見えないマスは見えない事を理解すると楽になります。ただ、説明しようとすると、一元論者や二元論者からは、面倒なウザい奴になるので気を付けて!笑
お遍路の醍醐味
私は、理由があって歩いてお遍路しましたが、どんなスタイルであっても感じる事が出来る醍醐味があります。
【1】大自然との調和に癒される。
本場四国もそうですが、伊豆でも大自然の中をお遍路する事になります。車でもバスでもそうですが、参道や境内は大自然が残っています。例えば朝の山の中は、地面から蒸気が出て、朝露や鳥のさえずりなど、地球の息遣いを感じます。
大自然の摂理には無駄(欲)が無いのも非常に勉強になります。社会の中で垢まみれになった自分の鏡も、大自然に触れる事で磨かれると感じています。
【2】寺院に眠るご先祖様の功徳に触れる事が出来る。
神社仏閣には、その地域の歴史が眠っていますが、日本人としてのご先祖達の功徳に触れる事で、私たちの遺伝子に組み込まれてきた叡智(経験)を確認する事が出来ます。日本的な文化は、こうした長い歴史の中で育まれてきました。
【3】気分がリフレッシュ出来る。
旅行をしたくなるのは、人間の本能が司っている部分であり、旅行をする事で本能が満たされ、脳の刺激にもなります。仕事とは、脳の使い方が違う為に、伊豆であれば温泉や料理などで、非日常を楽しんでください。
これらを体験する事で、自分自身に何か変化があれば、それが御利益となります。
DCが静岡で開催
さて、各地のイベントに出向いてPRをした事で、メディアにも取り上げられたことで、順調にお遍路さんが増えてきました。
そして、2017年の春、JR各社が共同で開催する、日本最大級の観光イベントであるディスティネーションキャンペーン(DC)が、2019年に静岡で開催されることが決まりました。
静岡DCは、2018年にプレDC、2019年に本番DC、2020年にアフターDCという事で、3年で計画される大規模な観光イベントになります。
静岡ディスティネーションキャンペーンに選考して頂く為に、伊豆霊場振興会として大きく動き出します。
特に行政のイベントにはブースをにぎやかす為に、テントの設営や伊豆88遍路のPRの為の資料配りなど、人件費や交通費などをかけて広報活動をしてきました。
東海バスからパンフレットの制作依頼
伊豆の南部でバスのインフラを持っている東海バスが、お遍路のパンフレットの制作をしたいという話がありました。
伊豆霊場振興会では、イメージ写真を撮っていたので、それを使ってパンフレットの制作です。
東海バスの社員様も、実際にバスを乗り継いで、札所を確認して、無理のない行程を組みました。
「ゆったりバス+歩きで楽しむ寺巡り」という、全部で18コースが造成される事になります。
地域イベントとコラボ
伊豆88遍路のプロモーションが順調に進んでいくと、伊豆半島のとある街の住職から声がかかり、その地域のイベントに併せて、伊豆88遍路をPRするためのイベントを一緒に出来ないかとの相談を受けました。
伊豆88遍路のPRになればと思い、イベントを開催する地域の伊豆88遍路の寺院と、近隣の寺院と共同で歩いて御朱印をもらうコースの造成や、仕組みを検討し、伊豆霊場振興会で作った公式納経帳として販売する事になりました。
この意味は、同じコンセプトで、伊豆の各地で開催されれば、ここに参加した人が、数珠繋ぎで他の地域で参加するだろうという事で、連続したイベントに成長するからです。
早速、コンセプトが決まった時点で、他の地域にも声を掛けさせていただきました。まずは親しくさせて頂いていた、熱海と下田と松崎で開催する事になりました。
イベントが始まると、駿は毎朝6:00には家を出て、テントの設営やお遍路さんの恰好をしてPRです。私や副会長も参加して1ヶ月間に及ぶ修行の様なイベントを催行しました。
メディア戦略も行い、その地道な努力も実り、静岡第一テレビなどのテレビメディアも来てくれて大賑わいです。結局、そのイベントには3000人の来場者があって、販売した記念御朱印も大きな売り上げとなりました。
地域イベントから外される事に
イベントが終了して間もなく、その住職からメールが入り「来年から伊豆霊場振興会が外れて欲しい」という事でした。
何言っているんだ?
という事で、話し合いを重ねますが、こちらも、そもそもが伊豆88遍路のプロモーションの一環という事で、伊豆半島内でシリーズ化して、他の地域にも声かけて、共通パンフレットのデザインも進んでいます。そのイベントにかなりの投資をしていましたので、引くに引けませんでしたが「街の決定です」との事で、別のイベント名で始める事になったようです。
同一コンセプトで進めていた熱海と下田と松崎にも、事の経緯を説明して数珠つなぎのシリーズ化にはならずに、それぞれで単独イベントになるという事になった事を伝えました。
伊豆霊場振興会としても、数珠繋ぎでは無いのであれば「伊豆88遍路」ではなく、単なる地元のイベントとなってしまうので、伊豆88遍路の意味がなくなるので、そもそもの趣旨が違いますので、イベントの継続やPRが困難となりました。
他の地域の人達は「仕方ないね・・・」という事で残念がっていました。
トラブルの予兆
今度は、その問題の住職が「伊豆霊場振興会で作った納経帳を売ってくれない」等の嫌がらせをしているという事を耳にしました。
その街の、私と親交のあった人からは「なんで、そんな嫌がらせをするのか?」と、わざわざ聞きに来たくらいです。
私としては、ある特定の街や寺院に、そんな事をする「理由」がありませんし、その時のメールのやり取りも見せて、私としては「外された立場」だという事を説明しました。
不思議そうな顔して帰って行きました。
その後まもなく、その問題の住職がイベントを仕切って、自ら御朱印帳を作り、イベントを開催する地域の観光施設などに買わせているとの事で、その愚痴も聞くようになります。
伊豆霊場振興会が納経帳を売ってくれないという「体」にしていた事には驚きましたが・・・。
実態としては、寺院さんや地域に対して原価で卸していましたし、その事を多くの方が認識していたので、そんな嘘はすぐにバレるでしょうから静観しました。
トラブルに巻き込まれる
ここから更にトラブルに巻き込まれていきます。
その問題の住職がいる寺院では、前住職が住職だったころに大きなトラブルが起き、そのトラブルをきっかけに義父である前住職が失脚し、今の住職になったと聞きました。そして同じようなトラブルが、今度は伊豆霊場振興会にも起きました。
トラブルが起きたときに、伊豆霊場振興会としては弁護士を立てて対応しましたが、警察に被害届を出すような案件でした。
トラブルを起こした側である本人達はトラブルが起きていないと言いますが、いじめている側が、いじめを認識したくないという感情や、その管轄である教育機関が問題を隠そうとしているのと同じ構造となります。
実態としては、前住職である義父も伊豆霊場振興会もトラブルに巻き込まれました。
少し賢い人達は、このトラブルで早くから離れていきましたが、人の心理を利用して先導しようとする人間もいるという事と、その先導しようとする人間を利用して、自分の利益を得ようとする「大人」もいるという事です。
伊豆半島で、色々な人達がイベントを開催する事は、観光客も楽しめますし地域も潤う事から、とても良い事だと思います。
ただ、嘘をついたり、犯罪まがいな行為は駄目だ。
そして、その様な人間を利用して、自分の利益を得ようとする「大人」が、もっと駄目だ。
再起するにあたり
結論として、再度、伊豆八十八ヶ所霊場の復興に向けて動き出す事を決めたのですが、問題があった住職は、今後もトラブルの火種になると思いますし、お遍路さんとのトラブルもあるかもしれません。
そこで、以前より親交のある近所の寺院に相談をしたところ、「遠藤さんの頼みであれば」という事で、ご協力して頂ける運びになりました。そこは宿坊もやっておりまして、お遍路さんにとっては非常に都合が良いです。
寺院そのものに罪は有りませんが、札所を入れ替える事にしました。
伊豆霊場振興会は、お遍路さんに楽しんで頂く事が目的の組織なので、トラブルの責任を追求する事が目的ではありません。札所を入れ替える事でトラブルは解決するのでトラブルの詳細は控えます。
札所の入れ替えについて
札所が変わる事は、過去には本場四国でもありましたし、伊豆でも何度も行われてきました。
先日も伊豆八十八ヶ所霊場の第85番札所の大聖寺が抜けたい意思があり、旧8番札所の航浦院が正式な第85番札所となったと聞きました。
そもそも、お遍路は寺院の行事では無いので、札所が変わっても、お遍路さんの実態としては何も変わりません。
札所0番の機能や納経帳の仕組みも伊豆霊場振興会だけの判断で用意しています。今回の札所の入れ替えも、伊豆八十八ヶ所霊場を案内している他の団体と意見調整をしている訳ではありませんし、お遍路さんが入れ替え前の札所を参拝する事も自由だと思います。
現在、第6番札所の金剛寺が、住職や管理人が不在な為に、非常に中途半端な状態になっています。伊豆霊場振興会としては、お遍路さんが楽しんで頂く事を最優先した判断で、札所の入れ替えなども検討したいと思います。
但し「霊場会」が発足をして、改めて正式に札所構成の発表があれば、伊豆霊場振興会としては、その札所構成を尊重する事とします。
トラブルが起きない事が私の願いなので、問題の住職の寺院が戻ったとしても「霊場会」がしっかりと対処をして頂ければ良いと思っています。
誰かが根回しをして、早く「霊場会」が発足する事を願っています。
少し賢い方なら、私が感情論で動いていない事はご理解して頂けると思います。
山主も人間
個々の寺院も長い歴史の中で、繁栄したり衰退したりを繰り返していますが、それは山主によって変わるものです。特に寺院は究極のサービス業だと思いますので顕著に出ると思います。
実は本場四国でも、札所と霊場会で揉めていたり、札所同士で裁判をしているという話も聞きます。要するに山主によって価値観が違うので、その様な事が起こるのだと思います。
もちろん、多くの寺院では、そんなトラブルとは無縁です。
どちらが悪いという事はありませんが、その原因は、やっぱり「思想」や「お金」などで、専ら人間らしいと感じます。
私の立場はお遍路さん代表ですが、お遍路さんとしても、そのような現実もしっかりと「人間」の学びの一つとして受け入れる必要があると思います。
伊豆八十八ヶ所霊場も千年以上の歴史ある寺院も少なくありませんが、その中でご本尊さんは、そんな人間模様を「笑いながら」見守ってきているのだと思います。
静岡DCに選考されるも取り消しに
2017年の年末にトラブルがありましたが、2018年の初めに、静岡DCのパンフレットを制作している会社から連絡が入り、静岡プレDCの「伊豆88遍路」のPR写真を下さいとの事でした。
副会長と大喜びしましたが、それも束の間・・・数日後には取り消しになったとの連絡が入ります。
裏話としては、結構なメインコンテンツとして選考されていたようですが、やはり先の大きなトラブルに巻き込まれた事で選考から外れたようです。
ただ、その問題の住職が手掛けていたイベントはプレDCに選考されるという、「大人」たちの賢い判断には本当に驚きました!笑
しかし、2019年の本番DCに選考されれば良いのでは?という、今となっては有り得ない事を信じて動き出します。
伊豆88ウォークの開催
とにかく2019年の本番DCに選考して頂くべく、地道な啓蒙活動を重ねていきます。
東海バス様のパンフレットも出来ましたし、伊豆箱根鉄道様からもパンフレットが完成し、伊豆箱根鉄道の声掛けで、JRのさわやかウォーキングとコラボしながら「伊豆88ウォーク」というイベントを催行する事になります。
仕組みとしては、3ヶ月に1回のペースでさわやかウォーキングがある月は、さわやかウォーキングとコラボして、無い月は「伊豆88ウォーク」という事でWEBサイトでの告知と、リピーターへの告知です。
私はどちらかというと、寺院との窓口やWEBサイトの構築、お遍路さんの受け入れ等をやっていたので、伊豆88ウォークは、副会長に任せる事にしました。
そして2018年の3月から開催する運びとなります。
いつもの「伊豆88遍路」のテントブースを設営しPRと物販です。さすがのJRのイベントなので1回で数百人の参加者がいます。多い時で千人を超えます。
平常月でも、最大50人位の参加者となり、副会長が先達(せんだつ)となって、多くのお遍路さんを連れて参拝するようになりました。
札所による霊場会の発足準備
まずは大きな課題として、伊豆八十八ヶ所霊場は、札所(寺院)で結成されている「霊場会」というのが存在していません。伊豆霊場振興会は民間による任意団体です。
そしてトラブルが起きた事をきっかけに、騒動を収束させるためにも「霊場会」が発足する準備に入りました。じつは、伊豆霊場振興会の悲願は、霊場会の発足でもあるという事も聞いています。
そして、札所による組織である「霊場会」が発足すれば、公共団体も安心して扱えるという話を聞きました。(要するに静岡DCでも扱える可能性がある)
多宗派が混在する難しさ
本場四国などは、臨済宗と曹洞宗が1ヶ寺ずつあるだけで、他は真言宗です。知多四国に関しては、混在している様ですが、伊豆は多くは曹洞宗ですが5宗派に分かれています。
その宗派の代表が修禅寺に集まって、トラブルに関して協議して頂き、霊場会の発足に向けて動きます。
伊豆霊場振興会としては、事務的なお手伝いをしましたが、意思決定に関する一切を進言することなく見守りました。
ただ、残念な事に40ヶ寺の参加に留まり、過半数に達しなかった事から「親睦会」という事で発足します。
霊場会では無いので、なんら取り決めがある訳でも無いですが、これからの霊場会を発足する為の核が出来た事は、本当に良かったと思います。
そして、トラブルを懸念していた関係各所に、親睦会の意見という事で文章を作成して頂きましたので提出しました。
静岡DCが選考されず
その効果も薄く、全体としてはトラブルの意向に沿うべく、伊豆88遍路は本番の静岡DCにも選考されませんでした。
これが現実です。
伊豆の13市町村の観光交流人口が減っていますし、2030年には約半分の市町村が経済破綻を起すと言われています。
この静岡DCの選考プロセスや、公共機関の意思決定プロセスを見ても「ま~そうなるよね」というのが感想です。余りに私物化しているというか、評価が感情論となっていて、とても理論的ではありません。
伊豆の経済破綻の原因は、一部の公共機関や公共交通機関の間違った判断の積み重ねによる結果です。
副会長が病気を患う
私はトラブルが起きてから2週間で10kg近く痩せました。
私達はトラブルに巻き込まれましたが、一部の公共団体や公共交通機関のトラブルを擁護する理不尽な対応は想像を絶しました。
私もかなりの鬱傾向となりましたが、副会長のストレスも半端無かったと思います。副会長は、最後まで例の住職がトラブルを起こした事を認めてくれると信じて動いていました。
そして2018年の年末に大病を患った事で、伊豆88ウォークも開催できなくなり、日常生活も厳しい状態でしたので、伊豆霊場振興会の副会長を退任して頂く事にしました。
伊豆霊場振興会の後継者を探す
そもそも、副会長と一緒であれば、会長を引き受けるという事だったので、私も後継者を探す事にしました。
一番の原因は、トラブルによって「伊豆88遍路」の扱いが難しくなり、最大で1500億円と言われている、大きな観光資源にもかかわらず、公的機関や公共交通機関が扱いが難しくなった事です。
そして用意した1500万円程の軍資金が尽きた為に継続が困難と判断しました。
候補者が見つかるも・・・
とある旅館さんのオーナーから「伊豆88遍路」に興味があるとの事で、ポスターとかあれば欲しいという連絡が入りました。
実は第五代会長を探しているという事を話をしたところ、非常に興味があるという事で、話を進める事になりました。
私としては、金儲けも大事ですが、やはり核となる信仰が無ければ繁栄しないと感じていましたので、条件としては、伊豆八十八ヶ所霊場を通しで歩いて参拝する事です。
日程も決まりFacebookで見守る事になりますが、三日目あたりで台風が直撃しました。そしてFacebookが更新されなくなります。
数日たって連絡が入り、報告に上がりたいという。
候補者:10年に一度の台風で、お遍路が出来なかった。
私:そうですか(迂回すれば済むし、貴方の意思で止めたでしょ?)
候補者:もう、伊豆霊場振興会は終わっていると聞いた。
私:多分、そうだと思います。(だから引退するんだよ)
この様な会話は「よくある会話」です。せめて、自分の心が決めて止めたと認識して欲しかったです。
人生において、晴れている時もあれば雨の日もある、登りもあれば下りもある。そこでどうするかは貴方次第です。
話は無くなりましたが、その他にも候補がいましたが、やはりITに疎かったり、金儲けをしたいだけであったりと、なかなか適任者がいません。
NHKドラマの舞台
運が良いのか悪いのか・・・
2018年の終わりころ、NHKから伊豆八十八ヶ所霊場をドラマの舞台として利用させてほしいと依頼があった。
NHKのBSプレミアムの、原田泰造主演の「大全力疾走」です。
第3話から伊豆のお遍路編がスタートしますが、脚本家が伊豆88遍路を見つけてくれて、台本に組み込んで頂いたとの事でした。
寺院の選定や、ロケーションの案内、作法や衣装などのアドバイスを株式会社サイトプラスで行いました。
寺院に対しての謝礼をお願いしましたが、最後のテロップに株式会社サイトプラスと出ているだけで私は奉仕です。
今までの全ての取材に関して奉仕で受けてきましたし、取材しやすい様に根回しやアドバイスもさせて頂いていました。
私の奉仕もここまでです。
2019年の4月に放送されましたが、その翌月には札所0番の撤退が決まっていました。
霊場やお遍路さんに罪はない
結局、伊豆霊場に携わる「人」に問題があるのであって、霊場そのものには罪は無く、ましてやお遍路さんにも全く罪は有りません。
多くのお遍路さんをお見送りして来ましたが、多くの方は、お遍路を楽しんでいたように思います。
それが、このような形で衰退していくのだと思うと悲しくなりますね。
札所0番の撤退
この札所0番に関しても、各札所に代わりをお願いをして回ったのですが、どこの寺院も、他の札所の納経印を、なんで扱うのか意味が分からないし、手間がかかるので出来ないという事で、結局は見つかりませんでした。
そして2019年の5月に修善寺にあった札所0番を撤退する事になりました。
納経帳を買って頂いたお遍路さんもいることから、西伊豆方面の札所で、差し替えの作業のお手伝いをして頂ける事になり、少しの間は機能をしていましたが、その後はWEBサイトで差し替えを郵送で受け付ける仕組みとしました。
改めて、期待を寄せて頂いていた旅館様や関係者に対して、お詫び申し上げます。
伊豆八十八ヶ所霊場は無くならない
江戸時代からある、伊豆八十八ヶ所霊場は誰の物でもありませんし、現在の札所の住職が入山する前から札所だと決まっています。
仮に八十八ヶ所の札所を辞める!と言っても、どこに言えば良いのかも分かりませんし、誰のものでもありません。
社会から認識されなくなっても、伊豆霊場振興会の様に50年経って誰かが発掘をすれば、また世に出てきます。
江戸時代からある霊場は、そう簡単には無くなりません。
札所0番は撤退しましたが、インターネット上の情報は掲載を続けています。
ITコンサルティングを開始
伊豆88旅宿の時にお世話になった、宿泊施設様とのご縁で、IT関連の仕事を頂く事が出来まして、なんとかビジネスのシフトが出来ました。
駿にも仕事のノウハウやITの技術や知識を教えながらとなりますが、なんとか軌道に乗って来ました。
そういう意味では伊豆88遍路に感謝です!
しかしコロナのパンデミックによって、旅行も制限されて、お遍路どころではありません。
観光地である伊豆半島の宿泊施設も戦々恐々となりましたが、その中でも弊社のお客様は、IT戦略により数字を伸ばす事が出来て、喜ばれるようになりました。
札所0番が復活
前の会社からの縁で20年近くお世話になっている、沼津の三明寺という寺院があります。その寺院のWEBサイトのリニューアルの話が有ったので打ち合わせに行きました。
そして、東名高速道路の長泉沼津ICの近くだったので、車での参拝者には都合が良いのですし、三島駅からも少し距離はありますが歩いていける距離だったので「札所0番」の話をしてみました。
そしたら「良いよ~」って事で「どんどんお遍路さんを連れてきて」との事。笑
もともと寺院にお願いしようとしていたのですが、こんな良い場所で引き受けて頂けるとは、本当に感謝です。
しかも、こちらのご住職様は懐が深いので安心できます。
時が解決する
早いものでトラブルが起きてから、もうすぐ5年が経ちます。
修善寺の札所0番を撤退してから3年が経ちました。
こうして、過去の資料を見ながら記事を書いていますが、ほんと、色々な事がありました。
最近、ふと、思ったのですが「ああ、これ、もしかして、四国遍路といっしょだよ・・・」
1回目は、お遍路が何もわかっていないのに本を書いて、地元の業者とお遍路ビジネスを始めたけど、直ぐに破綻しました。
2回目は、先輩と一緒に伊豆霊場振興会を引き受けましたが、軌道に乗りそうでしたがトラブルに巻き込まれて、副会長が体調を崩して結局は札所0番も撤退しました。
時間が経ったことで、トラブルの実態を理解してきた人も多いと思います。
会長候補の方も10年に一度の台風で離脱して、未だに私が会長ですし、以前より縁があった三明寺様で札所0番をやって頂く事になりましたし。
コロナで旅行が制限された事で考える時間も出来ましたし、コロナの期間中に会社も軌道に乗って来ました。
なんか「お前がやれよ」って試されている感じがしてきました。汗
再起をするにあたって
お遍路さんを案内する札所も無かったですし、新会長も見つからないままコロナとなり、そのまま伊豆八十八ヶ所霊場は、静かな霊場に戻りました。
お遍路さんに対しても、各寺院に対しても、地域に対しても、メディアに対しても、なんら負い目も無く真摯に向き合ってきましたが、これが現実です。
私自身は、理論と感情を分けているので、トラブルが起きた事実は受け入れていますが、感情的には、もう過ぎた事なので何とも思っていません。
ただ、再起するにしても、又、トラブルが起こるかも知れないので、起きても大丈夫な様に対策をしないと繰り返しとなります。
変な仲間意識も、逆を返せば敵を作るだけ。
「大事は理をもって決し、小事は情をもって処す」
これに尽きると思います。
【1】寺院の意向を尊重する。
お遍路さんを受け入れたくない寺院に受け入れをお願いしている時点で、何かズレています。まず、お遍路は寺院の行事では無いですし、札所は見守るだけで、その参拝するお遍路さんによって目的も異なります。本場四国でも、何度も札所は入れ替わっていますし、伊豆八十八ヶ所霊場も、今後は寺院の意見を尊重し再編成を受け入れます。
【2】お遍路さんとの関係を築く。
お遍路さんを主役として扱い、お遍路さんとの関係を密接にする。これは「大事の前の小事」(バタフライエフェクト)という事にもなりますが、やはり一人一人の「結願者」の積み重ねが最も重要な事だと感じています。霊場会の発足が目的みたいになっていましたが、霊場会が存在してもお遍路さんがいないのは意味が無いですが、霊場会が無くてもお遍路さんがいる事の方が意味があるので、やはりお遍路さんが主役です。
【3】私が先達となる。
伊豆88ウォークを副会長に任せていましたが、やはり私が現場に出た方が良いと感じています。伊豆霊場振興会のお遍路ツアーではなく、お遍路なので、各自で参拝して各自で責任のある行動をしてもらいます。ただ、参拝する日は決めて一斉に参拝する事にします。コミュニティはインターネット上に設置して、もう一つは私の様な発達障害や社会不適合者などの受け皿を作ろうと思います。
この3つを変えると、様々な思惑がある感情の話など聞かずに、私が「理」と思っている意思決定が出来ます。
そして「来るもの拒まず去るもの追わず」で良いと思います。
目標は「月千人のお遍路さん」です。
最も重要な事が、ここで私が退いても何も変わらないという事です。やって失敗しても、何も変わらないですし、失うのは私の人生という時間とお金だけです。達成した時には多くの方が喜んで頂けるのでは無いでしょうか。
「だったらやった方が良い」という結論に至りました。
三度目の正直、もう、誰にも邪魔させません。
「江戸時代からの贈物」ですので、お遍路さんも安心して楽しんでください!
多くのお遍路さんに楽しんで頂いて、江戸時代から「復興」して貰いましょう!
達成したら、四国の大窪寺に行って、感謝を伝えて納経印を貰ってきます!
2022年7月吉日拝