コロナも収束し「令和の虎」で新たに御朱印帳を作る事で、全寺院に確認のための挨拶をしています。
多くの寺院では、頑張ってください!との励ましを頂きますが、八十八ヶ所もあると「お遍路」に対する姿勢がご住職によって違います。
残念な事に、新たに入山した住職で「お遍路は修行なのに、お遍路さんの心構えが出来ていない!」という寺院がありました。
もちろん「お遍路は修行」ではございません。
不快な思いをしたお遍路さんにはお詫び申し上げます。
私が四国を参拝した時には、お遍路は一般参拝のひとつの形式なので、寺院の行事でもなければ法要でもないと聞いておりましたし、作法でもそのようになっています。
そもそものお遍路の成り立ちは、空海(弘法大師)が修行の為に四国遍路を作ったわけでもなく、江戸時代に空海(弘法大師)を慕って、ゆかりの地を参拝した事で、今の四国遍路が形成されたとなっています。
お遍路さんの中には、自らの修行として托鉢などを行いながら巡拝している方も見受けられます。その事は素晴らしい事だと思いますが、それを、得度もしていない一般の人に向けて、お遍路は修行だというのは、成り立ちや構造としても「おかしい」と思います。
逆に、お遍路を修行だと勘違いしている一般人もいるようで、寺院に「なっていない」などと説教しているお遍路さんもいるとの事。
そもそも、参拝の対象はご本尊様であり、寺院は参拝者を見守る立場であり、お互いに「なにか」を強要する関係ではございません。
以前は、この様な事は無かったのですが、少し調整しています。
その後に「御朱印帳」の制作にとりかかりますので、しばらくお待ちください。