お遍路とは、やはりどこまで行っても修行では無いように思えます。

私も、四国の歩き遍路に行った時、その厳しさに一度は挫折しましたが、その後の準備を整えると、精神的にも肉体的にも歩き遍路を結願する事は難しい事ではありません。もちろん、伊豆の八十八ヶ所霊場も同様です。

寧ろ、私にとっては子育てや、社会不適合者としての人間関係の方が大変だったと感じています。

残念ながら、四国の八十八ヶ所霊場でも、お遍路を「修行」だと言って厳格にお遍路さんに対応している寺院もあるようです。

例えば千日回峰行の様な「本当の修行を達成した人達」は、お遍路さんに対して厳格な対応をするイメージがなく、逆に、微笑んで、やさしく導いて頂けるイメージしか湧きません。

もちろん、ご本尊様も参拝者を選別するようなことはしないと思います。

選別するようなご住職様は、言ってしまえば「人間らしい」ですが、本物の修行僧とは、自分に厳しくすることで、他人に優しくできる、人間とは、そういうものでは無いでしょうか。

千日回峰行